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玉川上水 


 玉川上水は、多摩川の羽村取水堰を水源とし東京都羽村市から新宿区四谷大木戸までを流れる用水路(上水道)です。
 江戸時代に、玉川兄弟(庄右衛門と清右衛門)が江戸の水源を確保するために私財を投じて工事を行い、1653年(承応2年)4月4日開削工事開始、同年11月15日開削工事完了。
 自然の勾配(羽村から新宿までわずか約92m)を活かしながら江戸へ運ぶという難工事をこんな短期間で完成させたことは、当時の道具や技術を考えると困難を極めたものであったと思われます。
 翌年1654年(承応3年)より江戸市中への通水が開始されました。
 羽村から四谷大木戸までの43kmが露天掘りで、四谷水番所からは木樋や石樋などで地下水道となっていました。
 四谷大木戸付近には高遠藩内藤家の屋敷があり、玉川上水から分水を引き入れて庭園内に池も設けられていたようです。また、玉川上水の余水吐けの先は渋谷川に導かれていました。その様子が下の古地図からつかみとれます。

 

 

 

玉川上水最終地点古地図 玉川上水事典

(青マークが新宿ヒロセビル)

玉川兄弟(羽村堰)

 

四谷大木戸・上水最終地点 玉川上水事典

 

大木戸・水道記碑

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2010年4月、新宿御苑北側遊歩道(散策路)に玉川上水が復元されました。

 

玉川上水の生い立ちと新宿 (文は散策路案内板から転用)

■玉川上水の歴史

玉川上水は、江戸の飲料水を確保するために、

玉川兄弟の手により承応3(1654)年に開設されました。

取水口である多摩川の羽村堰(羽村市)から四谷大木戸

(現在の四谷四丁目交差点付近)までの約43kmの区間は、

土を掘り抜いただけの開渠(かいきょ)で造られていました。

四谷大木戸から市中へは、

石や木で造られた水道管を通じて水を供給し、

淀橋浄水場の完成した明治31(1898)年頃まで、

江戸・東京の人々にとって貴重な水資源でした。

新宿区には、四谷大木戸に水番屋があり上水の管理を行っていました。

また、四谷見付付近には、江戸城本丸、吹上御殿、

市中の武家や町人の屋敷へ供給する分水の分岐点となっていました。

これらの地域は上水管理の上で、

大変重要な役割を持っていたことがわかります。

■新宿における玉川上水

新宿区内での上水の利用は、四谷などごく一部でした。

四谷は下町と違い、水にめぐまれた地域であったことから、

掘り抜きの井戸を多く使っていたためと思われます。

水の確保のためにつくられた上水ですが、

内藤新宿界隈では、桜並木が続く江戸の名所を生み出し、

多くの行楽客でにぎわいました。

明治になると、通船が行き交っていた時期もありました。

■玉川上水の新しい分水路の誕生

新宿区では、「まちの記憶」として次世代に受け継ぐべき財産である

「玉川上水」の流れを偲ぶため、

環境省をはじめとした多くの関係者の協力のもと、

新宿御苑内に玉川上水・内藤新宿分水散歩道を整備いたしました。

「大銀杏区間」の水路延長は約180mあり、

水源には、国道20号新宿御苑トンネル内の共同溝に

湧出した地下水を利用しています。

水路底には、粘土を使用し、自然な流れを再現しました。

また、既存の樹木を生かしながら林床には、

武蔵野の雑林で生育する草本類を中心に植栽しています。

新宿御苑の雄大な自然と四季折々の変化と

あわせて散策をお楽しみください。

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